2008年1月7日月曜日

始めまして。綾部裕子です。よろしくお願いします。

ビデオ拝見しました。こんなに素晴らしいところとは、想像さえしていませんでした。クルーズ、倍も三倍も楽しみになりました。今日は自己紹介です。

オトト(菊地さん)式に言うと、私は
①お金を稼ぐ仕事:千葉県東金市の城西国際大学人文学部で英語と社会言語学とコミュニケーションを教えています。学生獲得のため高校訪問に行かされ、社会人1年生の飛び込みセールスの悲哀を味わっています。
②お金がどんどん出て行く仕事:筑波大時代のもと同僚、国際政治学者故秋野豊さんが48歳の若さで、タジキスタンで和平交渉の仕事をしていた際、山中で襲撃にあい亡くなられて今年で10年忌ですが、「秋野メモリアル・コンサート」の実行委員長をしています。
③お金と関係ない仕事:主人恒雄の法事、娘一家5人と息子一家3人の子守、おさんどんなど、ときどき。それに呆けてしまった私の姉と、まだ多少大丈夫な主人の姉の世話。
④お金と関係ない仕事2:家に作った「抗酸化陶板浴」(たった一床の小屋)に癌患者さんを招待して、よくなっていくのを見てほくそえむこと。
の4本柱で生活が廻っています。

小石川時代は、最初はF組でした。AFS交換学生で1年ニュージャージー州に行ったため、帰ってきて入れてもらった組はD組でした。菊地さんとはそのとき知り合い、東京女子大も一緒、軟式庭球部もいっしょでした。あと、ポコ(永田さん)、藤井さん、石崎さん、江碕さん、小倉さんたちと一緒に遊んでもらって、たまには小石川高校から池袋に都電で行き、肉屋でコロッケを買ってソースをドバッとかけて喫茶店にもって行き、コーヒーやハイボールなどで食べたり、そば屋の2階でコンパをやって歌ったり、それは楽しい最後半年の高校生活でした。

結婚した亭主が九大に勤めたため、九州生活を18年送り、子どもは二人、孫が4人です。その間、子どもをほったらかしにして九大の大学院で言語学を勉強し、筑波大に勤めることができました。63で定年後は今行っている城西国際大学に、土浦から1時間40分かけて通勤しています。亭主も、筑波大、城西国際大学、とずっと一緒だったのですが、この8月、腎癌のため2年半の闘病の末、自宅で安らかに往生しました。普段は一人暮らしですが、このお正月は、娘息子の家族と私、それに主人の姉と私の姉計11人で超忙しいお正月でした。今は、お仲人さんの奥様が脳腫瘍の療養のため、我が家に息子さん夫妻と一週間ばかり滞在して、抗酸化陶板浴に一日数回入り、目覚しい回復ぶりに気をよくしてます。

わあ、書きすぎた。明日が卒論の締切で、これからメールで指導する論文が2,3本あります。でももう眠い。どうしよう。

てな具合です。どうぞよろしくお願いします。

綾部裕子

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