2008年3月30日日曜日

帰国します。

本日5週間の中南米滞在を終えて帰国します。

成果と言えば、まあ日常的な会話はスペイン語でこなせるようになったことでしょうか。しかし文法的にはかなり怪しいところが残ります。次の目標はもっと正確にそして文法的には接続法を詳しく学ぶことだと思います。

さてここグアテマラですが、この地は主にコロンビア産麻薬の北米移送の中継地としての機能を持っているらしく、この問題が最も深刻なもののようです。先週は新聞一面が連日麻薬ギャングの話題でした。

新聞によるとギャングのグル-プは13あるそうで、そのうちの有力なLeon組組長が先週月曜日、警察に殺されたようですが、有力紙Prensa Libre金曜日の一面には、次期組長が写真入りで紹介されていました。ギャングにも広報担当がいて、マスコミ発表するわけでもないのでしょうが。

普段元気なAtabalの先生も麻薬、ギャングの話題になると声をひそめます。それだけこの社会に巣くう深刻な問題なのでしょう。一部麻薬の合法化が提案されるのも、この商売のうまみをなくし、ある意味で社会を健全化させるという議論も少しは理解できます。まあそれはそれで問題もありますが。

さて、日本の桜を楽しみに帰国日を4月1日に設定していたのですが、報道によると今年、特に東京は早いとか。帰国時にはすでに盛りを過ぎているようです。
うまくいきませんね。

よし

Antigua通信#1 スペイン語学校Atabal


にっこり微笑んでいるこの男性の顔、どこかで見かけたような気がしませんか。
個性派女優片桐はいりさんにどことなく似ているのではないでしょうか。それもそのはずはいりさんの実弟真さんなのです。この地に住み着いてもう相当の年月が経過しているようですが、今は奥さまのぺドラさんとグアテマラのAntiguaでスペイン語学校を経営されています。
私はQuitoを22日に立ち、グアテマラシティに一泊、明くる23日(日)から一週間Antiguaに滞在することにしました。12月からSkypeを使って週三回スペイン語をAtabalの先生に教えていただいており、先生への挨拶も兼ね、学校の実情を見てみたいとの思いでやってきました。
ここでも一日6時間一週間で合計30時間、おもに会話を中心にやっていく予定です。
よし

Antigua通信#2

Antiguaはグアテマラの3番目の首都でしたが一八世紀半ばの大地震で大きな被害を受け、首都が現在のグアテマラシティに移りました。現在でも崩壊した教会、修道院の跡が残り、町並みは当時のまま、道路は石畳、世界遺産に指定された街です。

周囲を山で囲まれた標高1,500Mの盆地で、下の写真で見られる、別称グアテマラ富士のValcan De Aguaが街並みの背後にきれいな姿を見せます。上の写真は町の中心、中央公園。

AntiguaはSemana Santaの行列が有名でこの時期には大勢の観光客を集めますが、同時に町には沢山のスペイン語学校があり、各国からの学生が集まります。
Atabalの授業料は一日六時間、週30時間で約100ドルとQuitoの約半額となります。しかし物価が安いかといえば、 すべてがそうだというわけではないようです。
たとえばQuitoのホテルでは一缶1.1ドルのビールがここのホテルでは約3ドル。毎日食べる食事の値段もQuitoとほぼ同じです。

それは多分この町が観光の町だからかもしれません。

よし




2008年3月23日日曜日

キト最終通信 聖金曜日


3月21日はSemana Santaの聖金曜日。スペイン語学校AGSの生徒と先生は旧市街で行われるProcesion(パレード)見学に繰り出しました。キリストの復活に合わせたこの行事はカトリックを信ずる国民が大半のこの国では最大の行事の一つのようです。写真は都心の目抜き通りをゆくパレード。昔「イースターパレード」という映画があったのを思い出します。

それにしてもイスラエルの小さな村に生まれたキリストが、当時のイスラエルでは必ずしも強い支持を得られていなかったにもかかわらず、こうして遠く地球の反対側の国民の心をとらえてしまったのは一体何なのだろうかといつも考えます。Anti BrancoのCarmitaは「宗教は現地人懐柔の手段だったのよ。」と言います。右手に剣、左手に聖書(手は逆だったな)で新大陸を征服した歴史をみるとそれもそうだと納得しますが、しかしそれだけではない人をとらえる何かかあったのでしょう。

ここ旧市街の中心に大聖堂があります。そこには「最後の晩餐」を描いた絵画が飾られていますが、そこでキリストたちが食べているのは何とクイ(モルモットのようなもの。現地の名物料理となっているがもともとはインディヘナの伝統的料理)ここにも布教の戦略(は大袈裟かな)を感じます。

これでキトにもAGSの先生、生徒のみんなともお別れ。ちょっとセンチな気分でいたところ、いつもひょうきんなMastoro Manuelが「よしが帰るのでCamitaは泣いているよ。」とからかいます。当のご本人はにこにこ笑っていて、最後はラテン式の抱擁で来年の再会を約しました。

よし

最後の二つの通信はキトのホテルの回線の具合が悪く送信できませんでした。今Guatemala Cityに移動しましたが、そのホテルから送信しています。

キト通信 #6 やっと晴れました。

キト最後の授業の日。やっと晴れました。
新市街AV.NACIONES UNIDOS(国連大通り)からPichincha山を展望している写真です。左手の山はその頂上が4700m、恐ろしいことにその頂上までケーブルが通じています。私は高山病の心配があったのと、それに天気が悪かったこともあり、今年も上りませんでした。何しろ2850mの市外から一挙に1000mも上るというケーブルです。頂上からの眺望は素晴らしいといいます。来年はトライしてみましょう。

さて肝心のスペイン語ですが、本日修了証をいただきました。級認定はBasico Altoつまり初級の中の上級、Carmitaは中級に近いと励ましてくれました。

文法的には接続法現在の中途まで。
ここまでやってきて、やはり難関は動詞の活用とそれから英語にはない接続法の用法でしょうか。
せっかくここまで来たので、中級は勿論できれば2年以内に上級をかじるところまで進みたいなと思います。

よし

2008年3月19日水曜日

キト通信 #5


キトも残り1週間となりました。今週は「聖週間」キトの街もカソリック最大の行事ににぎわいを見せています。
先週の金曜日、われわれは教室を離れ聖週間の準備に忙しい街に繰り出しました。
写真はキト旧市街の協会の横で、先生生徒が勢ぞろいしたものです。
といっても午前中の授業に出ているのは6名、したがって先生もすべて一対一の個人教授なので6名の計12名です。
真ん中の6名が先生、両端の6名が生徒。日本人は私を含めて2名です。
よし

2008年3月11日火曜日

キト通信 #4おまけ 赤道記念碑

Maestra Carmitaと赤道記念碑前でのツーショット。

ついこんなポーズをとってしまうのも、ラテンアメリカならではというところでしょうか。

2008年3月10日月曜日

キト通信#4 赤道記念碑

エクアドルはその名の通り国内を赤道が走っています。

キトの郊外に赤道の真上に立つ赤道記念碑があります。(写真)

上の写真には緯度0度の表示がありますがその下の黄色い線が

なんと赤道です。(赤い線ではありませんでした。)

またここには博物館や公園があり、昔物理で習った北半球と南半球で

風や水のウズマキが左回りか右回りカこの黄色い線の北側と南側で
違うというという実験も見られました。


よし







2008年3月8日土曜日

キト通信 #3 Maestra Carmita


私のスペイン語の先生は昨年(1月から2月にかけてやはり一か月滞在しました。)と同じCarmita先生。メスティソで45歳の既婚女性です。大学卒語学教師の免許を持っているラテン的な愛嬌もあるなかなか教養のある女性です。昔はたぶん相当な美人だったろうと十分推測できますし、また今でも魅力ある女性です。通っている学校を紹介してくれたSalongoの現地駐在員は盛んに「Carmitaはきれいですよね。」と同意を求めます。まあそれほどでもありませんが。



中南米に少し長く滞在してみると、Indigenaの血が混じったMestizoに人たち、特に教育を受けてきた人たちにはかっての征服者スペインそして白人支配に対する根づよい反感があり、また反米感情があるのに気づきます。長い間自国の裏庭にように事実上強い影響力を発揮してきた米国に対する複雑な感情は、私にも理解できます。いまやチャベスを盟主として南米には反米同盟が出来上がっているようにさえ思われます。(チャベスはいささかやりすぎですが)

Carmita本人の言によれば、彼女の給料は2.2ドル/時間の時間給で、平均的な手取り月額は200から300ドルだそうです。(エクアドルでは米ドルが通貨です。)
彼女のご主人は大学の物理学科を卒業したけれども、それを生かす就職先がなく、現在は小型トラックで商品の配達ををしています。

ちなみにスーパーへ行って物価を見てみると
ー卵15個 2ドル
ービール小瓶 50セント
ーミネラルウオーター 5リットル 1.1ドル
などなどです。
また町のレストランへ行くと昼食は3から4ドルといったところでしょうか。

庶民の生活は楽ではないようですね。

ご夫妻には一人娘のVanesaがいて、19歳大学2年生、専攻はInternational Business。一年生の成績がよかったのでCarmitaは160ドルの携帯を月賦で買ってやったそうです。携帯はここでもおお流行り。昨年モンゴルの草原でも若者が馬上で携帯を使っているのを見ましたが世界の若者の好みは同じですね。
昔東南アジアで庶民が味の素を大量に使っているのを見ました。消費のアンバランスをここでも感じます。

よし

また海難事故

パソコンでニュースを見ていたら、またしても明石沖であろうことか大型船の三重衝突。今度も後方から衝突した船の操舵手は自動に入れていて前方の船に気づかなかったとか。いやはや。



古稀クルーズに参加のみなさん。船は危ないという印象をもたれたかもしれませんが、わがBobスクールは昔堅気の頑固なBob船長は決して自動操舵装置を使わせません。GPSもめったに使わず、もっぱら人間の目と頭を頼りにしています。ご安心ください。



事故を起こした船員一同、Bobスクールでの再教育をお勧めします。



よし

2008年3月2日日曜日

Quito通信#1

エクアドルの首都Quitoは標高2850m、世界で一番高地にある首都はボリビのラパスだと思いますが、ここも多分世界でも有数の高地首都だと思います。
現地に到着して一週間経ちます。平日は毎日6時間先生と一対一の授業でしたので、今日土曜日は久し振り にのんびりと公園を散歩しました。
写真は新市街の公園から、背景は4850mのピチンチャ山を望みます。Quitoはこうした4000mから5000mの山に囲まれた街です。
今年のエクアドルは異常気象で連日雨、それによる被害が深刻になっています。写真の山は今日も雲にピークが隠れています。

実は到着時荷物が届かない(前回のNZに続き連続)、復路の切符を紛失するなど事故相次ぎ、「無事に到着」とは書けない状況で相当へこんでいましたが、金曜日までにどうやら解決。ほっと一息です。
これから気を取り直してスペイン語に集中しようかと思います。

上記トラブルは話すと長くなりますので、暇な時に又別にブログしたいと思います。
そんなことはないとは思いますが、あるいは皆さんが同様のトラブルに巻き込まれた場合、少しは参考になるかもしれませんので。

よし

ところでイージス艦のブログに少し意外なコメントが付いてきましたね。





Quito 通信 #2 緒戦事故相次ぐ

恥を忍んで事故経緯詳細を報告しましょう。


①キトまでは、ヒューストン経由のコンティネンタルでしたが、成田発が予定の1時間5分遅れ。ヒューストンでの乗り継ぎはもともと2時間しかなかったので、心配になって成田の地上職員に聞くと「偏西風が強いのでここのところ連日30分は早く着いています。1時間半あるから大丈夫でしょう。」とのご託宣。


②離陸後30,000フイートに達すると、自席の画面では時速750マイルの快速で飛行し始めた様子で一安心。

ところが1時間もすると機械故障で画面は真っ暗。隣席はHISの添乗員でペルーへ20人のお客を引き連れている女性。かなりのベテランとみた。

それでも5,6時間はまあ多分大丈夫だろうと思ってうとうとしていたが、やはり気になってとうりがかりのアテンダント(年配の日本人?)に到着時間を確認すると「画面を見てください」との一言。件の女性添乗員と私は一斉に声を張り上げて「故障していて見えないよ。」と抗議すれば少しも驚かず「乗り継ぎのお客様が多いから乗り遅れることはないです」と無視された。


③添乗員氏はさすがにベテラン、ビジネス席に出張ってみたら画面はなぜか正常に動いていたとか。
ところが今や時速は650マイルに落ち、到着時間は1時間10分遅れ、となればわずか50分の乗り継ぎ時間しかないことになる。米国は入国しないトランジット客もパスポートコントロールをクリアーしなければならない。しかも指紋、写真撮影、結構時間をかける質問などあり、これは乗り遅れかと二人とも半ば覚悟せざるを得ない状況となった。ましてや20人のお客を抱える添乗員氏は「乗り継ぎ機の遅れを期待するしかないわ。最初からこれじゃあね。」とほぼあきらめ顔。


④それでもわれわれはエコノミーの前から二番目の席だったので、最善を尽くそうと着機するやビジネス客を追い抜いて駆け足でパスポートコントロールへ。見ると幸い人はまばら。私は時間を少しでも節約しようと復路の切符も含めすべてのドキュメントを手にして待機。指紋採取はいつの間にか親指だけではなく、両手5本指となりこれが時間がかかる。やっと終って復路の切符も示そうとするといらないという。
切符を首から下げた鞄にしまって(つもりで)審査を待つ。


⑤やっとのことで、入国審査済みのパスポートを手に乗り継ぎのターミナルに急ぐ。途中添乗員氏に会うと「リマ行きは1時間遅れの出発で「ラッキー」と満面の笑顔(笑うとこんな美人だったのか?!)こちらはon timeとのことなので、もう20分しかない。Good Luckと声をかけて継続駆け足でセキュリティへ。靴を脱ぎバンドまでとられる厳重な審査を終えて出発ゲートにたどりつけば出発3分前。最後の客として乗り込むと、私の席には、露出過多の豊満ラテン中年女性がなんとどっかり座っているではないか。

「あなたの席?空席かと思ったわ。」と嫣然と微笑みながら自席に移動。


⑥自席を確保してほっと一息。なぜか気になって袋の切符を確認するとなんとない。空港でのどさくさまぎれに紛失してしまったのでした。会社時代を含めれば150回くらいの海外渡航歴があるが切符紛失は初めての経験でした。


⑦さてキトに着くと今度は荷物が未着となる。事前に予測していた

ー人も荷物も乗り遅れ。
ー荷物は間に合うが人は乗り遅れ
ー人は間に合うが荷物積み残し
のうち最後のケースとなった。

紛失荷物の書類を作成してもらうが、飛行機は一日一便なので明日の同時刻に(夜の10時半)空港に取りに来いとのこと。(普通はホテルに届けてくれるのですがね。)地上職員には恐縮したそぶりは全くない。


⑧あくる日着のみ着のままでコンティネンタルに電話してみると、「飛行機は予定通り。だから10時半に来い。」とのこと。空港についてボードを見るとなるほど着陸予定は10時10分。ところが待てど暮らせど飛行機は到着せず。そのうちボードは到着時間が少しずつ遅れ、最終的には何と到着はあくる日の0時55分。それでもやっと自分の荷物に巡り合い、ホテルに帰着したのは深夜2時でした。


⑨翌月曜日から紛失切符の解決に専念。帰途はグアテマラに一週間よる予定なのでそこまではコスタリカ航空、そこからコンティネンタルで日本へ。コンティネンタルはEチケットなので、多分大丈夫と思っていた。早速キトのオフィスに電話してみると簡単に無料で再発行できるとのこと。事務所訪ねEチケットを再発行してもらいひと安心。

問題は紙ベースのコスタリカ航空分。同社のオフィスを訪ねてみると「確かに予約は入っているが、この切符は当社が直接ではなくコンチネンタルを通じて販売したものだから当社では処理できない。あちらへ行って相談してください」とのことなので同社オフィスを再訪。

すると「お前がその切符を当社から買ったという証拠書類が必要」というので具体的にどんな書類かと尋ねると「販売店には切符の控えがあるはず。そのコピーをファックスしてもらえば良い。」

購入先のJTBに電話すると「切符自身の控えはないが、購入記録はある。」とのことなので早速faxしてもらう。さすが日本の会社は処理が早く火曜日早朝には書類入手。

⑩三度コンティネンタルを訪ねると、「切符のコピーと言ったはず」と受け付けない。そこをなんとかと交渉。最後は「自分には判断できない。詳しい係員は金曜日の午前中に来るので出直してこい。」

で、金曜日の午前10時に4度目の訪問。ああでもないこうでもないとの交渉が続きその間コスタリカ航空事務所と3回往復(両事務所の距離が徒歩3分と近いので助かった!!)

やっとのことで

ー航空券を新たに購入する。

ーしかし旧航空券が使用されなかったら手数料100ドルを差し引き3ヶ月後に返金する。

ことになりました。この間所要時間は2時間半。


お粗末なお話で失礼しました。旅先では貴重品十分お気を付けください。それにしても日本との連絡でSKYPEを使えて助かった。普通電話でやっていたら電話代だけでも大変でした。


よし