2008年1月31日木曜日

書庫の始末

お久ぶりです。 菊地です。

読書に乗馬、NZへのトレッキング旅行と榎本さんの優雅な生活には程遠い私です。

目下、マンション建替に奔走していますが、建設費の値上がりと建築確認制度の変更
のあおりを受けて四苦八苦しています。でも建築やその業界の仕組みなんて全く関心が
なかったので何となく新鮮な経験です。 

建替の話はまたの機会にして、今日は古紙・古書の話です。
建替え資金として練馬にある江碕の家を売ることにしたのですが、更地にしてほしいと
の不動産屋の希望で、これを取り壊すことになりました。 ところがここには裁判官だった
江碕の父の書庫があり、判例集を始め難しい法律の本がぎっしり詰まっているのです。

練馬区役所に相談したところ、古紙回収の日にみかん箱3個位づつなら無料で持って
いくが、まとめて出すと有料になる。みかん箱1個が200円だそうで、ざっとみつもっても
500個強になりそう。 でも古紙として捨ててしまうにはしのびなく、古本屋をあちこちあたり
やっと「本虫」なるところが見に来てくれることになりました。

1月29日極寒の練馬の空き家の書庫の中、寒さを覚悟して重装備で出かけました。
「本虫」氏が来て、いっしょに書庫に入り、誇りにまみれた本?古紙?の山の中に入りました。
入るやいなや「本虫」氏は目をらんらんと輝かせ、「ともかくいただけるなら、ここの本全部
いただきます」と言い、せっせと本棚から本を抜き出しはじめました。
「法律書としての価値云々よりも古書として興味があります。この辺の本はすでに新版が出て
いるけれど、発行年度が昭和1桁代、戦前のものはめずらしいのです。図書館に寄付するなり
いろいろ方法を考えますので・・・」 「この中に法曹夜話がないかな?」などといいながら、
せっせと本を運びはじめた「本虫」氏に、こちらも協力したくなり、なんと気が付くと3時間近く
「本虫」氏の車(ミニバン)がいっぱいになるまで、本運びをしました。
お陰で寒いどころが汗だく、「もうこれ以上は乗らないので、残りは2月に入ってから取りに来ます。」
古紙になるところを古書になりそうな本達と「本虫」氏を見送って、しばし呆然。

書庫を閉め、空き家の中の古椅子に腰を下ろすとなんとも、良かったというか、さびしいというか、
妙な気持ちになりました。 江碕の父が見たら嘆くだろうことは間違いなし。 罰当たりです。

                                       1月31日 菊地順子

2008年1月21日月曜日

NZへ出発&初落馬

今日夕方発で2週間NZへ行ってきます。
ミルフォードとエーベルタスマンの二つのトラックを歩いてきます。
ミルフォードは初めて、エーバルタスマンは2度目です。

それで午前中にしばらく乗れないと思って一鞍乗馬に行ってきました。
かなり順調に駆け足の練習をしていたら、馬は何に驚いたのか突然疾走。あわてて補助の手綱に頼ったら、なんとこれが切れてしまいました。で見事に初落馬。背中を嫌というほど打ちました。

まあトレッキングには支障ないでしょうが、今年は落馬しないが目標だったのに。
インストラクターは申し訳ない顔をしていましたが。

よし

2008年1月20日日曜日

柳美里的私小説

今年正月~今までに柳美里の私小説5冊半読みました。いきさつはこういうことでした。
昨年末運転中のラジオで彼女のインタビューを聞いていました。それは最近出版した「柳美里不幸全記録」に絡めてのもので、彼女の鋭敏すぎる感受性と過激な行動にいささかの興味を持ちました。それに彼女はフルマラソンを完走した経験というではありませんか。これで余計興味をそそられました。(私はかって市民ランナーでフルマラソンは20回完走しています。)早速アマゾンで購入して読み始めてみるとそれは

彼女が16歳から10年間生活を共、しかし今は亡くなった東由多加に向かっての日記という形式をとった2001年から2006年までの生活記録でした。

同書は二段組800ページの大冊ですが、読み進んでみると彼女の子供の男親が東ではないようなので、そこのところの事情を知りたくなって

「命四部作」(文庫本4冊)「フルハウス」を読むことになったわけです。

「命」を読むと柳は身ごもると男に捨てられ、その後再会した東は咽頭がんを宣言される、「一つの命が確実に失われ、一つの命が確実に誕生する」という状況で二人は再び同居し出産と闘病に取り組むという異常な生活の記録なのでした。まあ話せば長くなりますが出来るだけ簡単に所感を述べれば

①これが私小説というものかと実感しました。どこまでが真実か本当のところは分かりませんが、ありのまま+筆者の感情の動き(激しい)の記録のように読み取れます。

②第一の印象は末期がんのすさまじい苦痛です。東は咽頭がんを宣言され、それが多臓器に転移して9ヵ月後になくなるわけですがその苦しみ方は並大抵ではない。大変くらい気持ちになります。こんな恐ろしい病気にならず楽に死ねる方法はないものでしょうか。高年者の相当数の死因が癌とのことですから恐ろしいですね。

③「命」に登場する人物も特異で、類型的に言えば
ー見返りを期待しないで人に厚意を尽くす(仮にー型とします。)
ーろくに感謝もせずに他人の厚意、尽力を受ける(+型)
ー相手によって両型を使い分ける。
に分かれるように思えます。

④東(劇団東京キッドブラザースの主宰者でした。)は+型で柳や元劇団員の女性から献身的な看病を受けます。何しろ日本で認可されていない薬の投薬のために「イエスの方舟のおっちゃん」のように取り巻きをつれて(他人の破格な厚意に負担を感じることなく)米国の病院に入院したりするわけです。

⑤柳は東にはー型なのに、他の人(たとえば出版社の担当者)には+型となります。
当然のように私用を依頼する。日常しばしばなのですが、いささか過ぎているのは
ーノムヒョン大統領就任式に本人が招待(日本からは6人。大勲位元首相、平山画伯など)された際、母親の強い希望で式典同席することを依頼し実現させる。
ー地方講演に招かれると母親、子供、子守り同道で出かけ豪華な温泉宿を楽しむ。
などの記述(不幸全記録)が出てきますが、これがなんとも自然体で、いかにも当然のことのように書いているように思ってしまいます。

私は多年酒造メーカーに勤務していましたが、この業界では流通のほうが強く、わがままなお客の要求にさんざ苦労をさせられたものでした。書籍の世界ではメーカーたる作家と流通たる出版社の関係は逆で、作家断然優位にあるようです。それは柳が有名作家で、その作品がビールなどと違って他に変えがたいものだからなのでしょう。それでも私はこれは品性の問題もあるのではないかと思いますが。実業社会ではこういうのは公私混同と言います。

⑥また表現のぶれも大きくて、東を看病するときの情感あふれる文章がある一方、敵対する相手や、悪感情を持っている人間に対する、罵詈雑言、冷酷な文言には驚きます。捨てられた男に対してはともかく(彼に対してはむしろ時々優しさが現れる。)例のモデル問題裁判で原告側に立った意見を述べる人たちへの非難の強烈さ、実の妹を語るときの一片の愛情もない酷薄さなどなど。
今売れっ子となった佐藤優(外務省のラスプーチン)の「国家の罠」はドキュメンタリー的自叙伝(こういうのは私小説とは言わないだろうと思います。)で、これにも沢山敵対する人物が登場するが、彼は悪態らしい悪態は一言も発していない。まことに好対照だと思います。

⑦そう言えば「柳美里不幸全記録」という書名も、いまや「ててなし子」は珍しいことではなく、それもベビーシッター付きで育てているのでは一向に不幸には見えないませんが。それでも彼女は自分が不幸と思っているのでしようか。

⑧マラソンは初回が4時間50数分、二回目が4時間29分が彼女の記録、私の場合初マラソンが4時間45分、二回目がホノルルマラソンで4時間15分、4回目で初めて4時間を切ることが出来た。
市民ランナーではサブスリー(3時間をきるランナー)は雲の上の存在
           サブフォー(4時間をきるランナー)が平均的ランナー、あるいは市民ランナーと認め     られる水準
で、彼女の小説家としての超多忙な生活から見れば立派と思います。私の記録と30ないし40分しか違わないと言うべきか30分も違うと言うべきか迷うところです。

などといささか悪口を言いながら5冊半(半と言うのは全記録800ページのうちまだ400ページと少ししか読んでいないからです。)も短期間に読んでしまったのは彼女の筆力といささか異常な環境に興味をそそられたからだと思います。
しかしこの辺で彼女の小説を読むのは打ち止めにしようかなと思います。

よし

2008年1月10日木曜日

初ゴルフ

昨日今年初めてのゴルフに行ってきました。大学時代の同窓生3名と御殿場の富士カントリーccです。引退してしばらくゴルフを止めていましたが、3年前同窓の友人に勧められて同ccの平日会員になりました。

初ゴルフの結果は、パーはわずかに1ホールのみ。凡打多数。バンカーで砂遊び数回。OB一発。ドライバーはほとんどがスライス。相変わらず低迷しています。
若い頃はハンデ18まで行ったのに今は30、それでもなかなかnetパーが出ないというていたらく。
めったに100を切れないゴルフです。今回のスコアも記録に値しないものでした。今年も期待薄です。

正月にフィジカル スーパーバイザーを名乗る廣戸聡一著「4スタンス理論」という本を読みました。
その理論は人の体には4つのタイプがあり、その特性にあった動きをすれば格段に効率が上がるというものでかなり説得力があります。(イチローと松井の差を写真つきで解説しています。これは面白いです。)別著に「ゴルフ4スタンス理論」というのもあるようなので早速買ってみようと思います。さて効果があるかどうか。

2008年1月7日月曜日

始めまして。綾部裕子です。よろしくお願いします。

ビデオ拝見しました。こんなに素晴らしいところとは、想像さえしていませんでした。クルーズ、倍も三倍も楽しみになりました。今日は自己紹介です。

オトト(菊地さん)式に言うと、私は
①お金を稼ぐ仕事:千葉県東金市の城西国際大学人文学部で英語と社会言語学とコミュニケーションを教えています。学生獲得のため高校訪問に行かされ、社会人1年生の飛び込みセールスの悲哀を味わっています。
②お金がどんどん出て行く仕事:筑波大時代のもと同僚、国際政治学者故秋野豊さんが48歳の若さで、タジキスタンで和平交渉の仕事をしていた際、山中で襲撃にあい亡くなられて今年で10年忌ですが、「秋野メモリアル・コンサート」の実行委員長をしています。
③お金と関係ない仕事:主人恒雄の法事、娘一家5人と息子一家3人の子守、おさんどんなど、ときどき。それに呆けてしまった私の姉と、まだ多少大丈夫な主人の姉の世話。
④お金と関係ない仕事2:家に作った「抗酸化陶板浴」(たった一床の小屋)に癌患者さんを招待して、よくなっていくのを見てほくそえむこと。
の4本柱で生活が廻っています。

小石川時代は、最初はF組でした。AFS交換学生で1年ニュージャージー州に行ったため、帰ってきて入れてもらった組はD組でした。菊地さんとはそのとき知り合い、東京女子大も一緒、軟式庭球部もいっしょでした。あと、ポコ(永田さん)、藤井さん、石崎さん、江碕さん、小倉さんたちと一緒に遊んでもらって、たまには小石川高校から池袋に都電で行き、肉屋でコロッケを買ってソースをドバッとかけて喫茶店にもって行き、コーヒーやハイボールなどで食べたり、そば屋の2階でコンパをやって歌ったり、それは楽しい最後半年の高校生活でした。

結婚した亭主が九大に勤めたため、九州生活を18年送り、子どもは二人、孫が4人です。その間、子どもをほったらかしにして九大の大学院で言語学を勉強し、筑波大に勤めることができました。63で定年後は今行っている城西国際大学に、土浦から1時間40分かけて通勤しています。亭主も、筑波大、城西国際大学、とずっと一緒だったのですが、この8月、腎癌のため2年半の闘病の末、自宅で安らかに往生しました。普段は一人暮らしですが、このお正月は、娘息子の家族と私、それに主人の姉と私の姉計11人で超忙しいお正月でした。今は、お仲人さんの奥様が脳腫瘍の療養のため、我が家に息子さん夫妻と一週間ばかり滞在して、抗酸化陶板浴に一日数回入り、目覚しい回復ぶりに気をよくしてます。

わあ、書きすぎた。明日が卒論の締切で、これからメールで指導する論文が2,3本あります。でももう眠い。どうしよう。

てな具合です。どうぞよろしくお願いします。

綾部裕子

はじめて投稿します。 菊地順子です。

プリンセス・ルイーズのビデオ、素晴らしいですね。こんなところに行けるなんてちょっと信じられませんが、榎本さんの企画におんぶに抱っこで参加させていただきます。
榎本さんのペースについて行けるかどうか心配ですが、頑張ります。

私は未だ半分現役で、
お金をもらってやっている仕事(IBM・Tivoliのユーザー会事務局)、
お金をもらわずにやっている仕事(林町住宅マンション建替組合理事長)
お金を払ってやっている仕事?(フォーシーズン・ホテルのSPAクラブ会員)
をしています。

どれも同じように精を出しているのですが、目下佳境に入っているのが
林町住宅マンション建替組合の仕事。東京都住宅公社の第1号分譲住宅
が建築後50年経ってやっと個々人に所有権が移ったところで建替の話が
本格化し、この5月に取り壊し、来年10月に竣工するというもの。
マンション建替え法で、建替組合を作り、権利変換という方法で新しい建物
を入手する。何とも複雑な手続きでしたが、この1月ー4月が山場で、5月
を過ぎればどうにか体が楽になりそう。そこで古希クルーズに参加させて
いただくことにしました。

どうぞよろしくお願いします。

これから榎本さんに刺激されて少し身体を鍛えようと思っています。
            菊地順子 (kikuchi Masako)

2008年1月6日日曜日

ヨシさん相変わらずお元気ですね














ビデオに続いてプリンセスルイザとサンシャインコーストのスライドショーを投稿させていただきます。
ごらんください。
画像をクリックするとスライドショーが始まります。

2008年1月5日土曜日

大山登山

1月3日に丹沢の大山に登ってきました。
毎年年末か年初に登ります。

いつもケーブルは使わずにバスの終点(標高は多分350mくらいだと思います。)から頂上(1250m)まで登ります。昔は男坂を最近は女坂を登り標高670mの大山神社下社まで、そこから今年は本道を避けて幾分楽な「かごや道」を経て頂上の上社まで。2時間半の行程でした。

疲れました。特に下りが。道中熟年の男性二人が足を痙攣させて立ち往生していました。大山も馬鹿に出来ないですね。運動不足では簡単には登れませんよ。
歳をとると登りより下りが苦しくなりますね。下りは下社からバス停まで初めてケーブルのご厄介になりました。

この一月下旬NZのミルフォードトラックをトレッキングする予定ですが、良い練習になりました。
下山後は例のよって大山豆腐でキリンを一杯!
今年も元気で行きましょう。

よし

今年の目標

月並みに私も新年には一年の目標を立てます。
今年は
・まず第一にこの「古稀クルーズ」を楽しく実施する。
・3年前から始めた乗馬については、今夏モンゴルの大草原で落馬せずに疾駆する。
(昨年は3週間の滞在中4回落馬しました。それも不思議なことに同じ日に2回づつ。幸い怪我はたいしたことはありませんでした。)
・去年から始めたスペイン語は日常会話+若干の討議が可能なようなレベルに達する。
そのために中南米諸国(エクアドル、コスタリカ、グアテマラなど)に2ヶ月程度滞在する。
事としました。

また最近知力体力の衰えを感じますので、日本にいる間は
・毎日1時間半から2時間のウォーキング
・週4回以上の水泳(一回500m以上:2年前までは一回1kmでした。衰えました。)
・週3回の乗馬(一鞍/日)
それに
・年間30冊以上の読書
を目標にします。

早速文庫本8冊、単行本4冊買い込みましたが、ツンドクにならなければ良いのですが。
それにしてもアマゾンは便利ですね。
注文するとほぼ翌日配達配達になります。

よし

2008年1月4日金曜日

プリンセスルイザ・ビデオ

いよいよブログ開設、おめでとうございます。
今回のクルーズのお手伝いをさせていただく、WindValley Sailing School のBobです。
早速、目的地であるプリンセスルイザインレットの紹介ビデオを投稿させていただきます。
皆様ご覧ください。

2008年1月2日水曜日

いよいよ古稀クルーズ!

古人曰く「人生七十古来稀なり。」
かって同じ学び舎で学んだ紅顔の少年、可憐な美少女も、今年齢七十を数えることになりました。
まことに光陰矢のごとし。

しかしなお血気盛んな仲間が集い、今夏Bobさんの指導と協力を得て、クルー全員70歳という「古来稀なクルーズ」を楽しむこととしました。

8月下旬のクルーズまで、この場を借りて意見や情報の交換をしていきたいと思います。